楽生楽死

A-Zの備忘録的なメモ、みたいな日記

結局、冬アニメでちゃんと観てたのは

モブサイコとJOJOとケムリクサとかぐや様くらいだったかも。ブギーポップで観きれてない(夜明けの~までは観た)のは春に観たり観なかったりしよう。

JOJOは今になってアニメ化することで、当時考えもしなかった考察が出てくるのが少し面白い。トリッシュが誰の(どの人格の)娘か?とか、当時考えもしなかった。

ドッピオはスタンド能力を持っていない(能動的に使用できない)ので、スタンド能力を有するトリッシュディアボロ(ボス)の(精神的な)娘である。しかし、(アニメで保管されたように)母親をナンパして付き合い始めたのはディアボロではなくドッピオだ(確かにディアボロが女をナンパするイメージはない。秘密がバレただけで村ごと焼くようなヤツが女と付き合ってどうする)と考えるのが自然。ここでどっちの人格時の娘か?という疑問(というか妄想)が生じる余地がある。
そういった前提の元、種を仕込む寸前になって「トゥルルルン」とディアボロからの指令が入り、入れ替わって最後の良いところだけディアボロがチャッカリ頂いたのでは、というネタ考察をTwitterでみて、ちょっと面白かったのです。
これは、常に絶頂に居続けたい(いいとこどりしたい)というディアボロ(ボス)の生き方と矛盾せず、最終決戦時にトリッシュがドッピオに対して父親の感覚を感じ取れなかった、つまりは親子の感覚の共有がなかった(っていう感じの描写があった気がする)こととも矛盾しない、なかなか説得力のあるアホな考察であった。